11日~石巻市立大川小学校とひまわりの花
Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。今月はメンバーさんの投稿よりお伝えします。
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花を手向け、手を合わせたいとずっと思っていました。あの日、74人の子どもたちが学校の管理下で命を失ったという事実はあまりに重く、なかなか動き出せずにいましたが、新聞記事をきっかけに大川小学校を訪ねました。
きっかけになった1つは「84人犠牲の石巻・大川小 教員遺族も共に 交流通じ児童遺族と語り部」」(東京新聞 2017年3月11日)。当時教員をしていた方の息子さんが遺族の方と連絡を取り、共に語り始めたという記事です。
もう1つは、「大川小、遺族と卒業生の6年 続く裁判と校舎保存と」(THE PAGE 2017年3月10日)。大川小学校が震災遺構として保存が決まった背景に、卒業生である子どもたちの声が強くあったと伝えていました。
全発言はこちらで読むことができます。
「大川小学校の校舎を残して」卒業生5人が意見表明【発言全文】」(The Huffington Post 2014年04月14日 更新: 2014年04月15日 )
「大川小学校の校舎、保存か解体か 渦巻く葛藤、そして卒業生たちは住民集会に乗り込んだ【発言全文】」(The Huffington Post 2015年03月11日)
考えるだけの時間は終わりにして、自分もできることをしたい、と素直に思いました。
大川小があった場所に立ったとき、あまりにも川に近く、また生死を分けた裏山があまりにも近かったことに驚き、言葉が出ませんでした。津波で破壊され、壁がない教室には黒板が残っていて、たくさんの子供たちや教職員が、ここで学校生活を営んでいたのだと思うと、胸がいっぱいになりました。そんな日々が当たり前のように続くのだと、わたしも思っていました。
自分があの場にいたら何ができたのだろうか…大川小の校庭に立って考えても答えは出ませんでした。どこなら命を守ることができたのか…。これまでにない強い余震が続く中、あの裏山に登ることはできたのか…。
大川小跡を去るとき、叶わぬこととは知りながら、子供たちを無事に家族の元に帰してあげたかった…そう願わずにはいられませんでした。
そして、大川小の子供たちと教職員のためにも、このような悲しいことが二度と起きないようにしなければ、という思いを新たにしました。
その後、神奈川県のメンバーさんから、思いがけず「大川小学校のひまわりがある」と聞きました。東日本大震災関連の書籍を紹介するコーナー『MUSUBU Library(ライブラリー)』vol.1で紹介されていた「ひまわりのおか」(岩崎書店)のひまわりです。ほかの学校から譲り受けた種を昨年の3年生が育てたので、今年はその増えた種をまいたとのこと。種の由来を話して「ひまわりのおか」を読んだときには、子ども達は、亡くなった子一人一人のエピソードが多いところも「全部読んで」と言って、静かに聞いていたそうです。つぼみがたくさん付いたひまわりは、夏休みには子ども達が家に持ち帰ってお世話をします。それぞれの家で大川小学校のひまわりが次々と咲く様子を想像しながら、「お母さん、ひまわりに込められた思いは、大切に伝えられています」と心の中で語りかけました。
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