11日~「震災遺構」と防災
Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。
今月はメンバーより投稿いただいた記事を紹介させていただきます。
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東日本大震災以降に生まれた子どもたちが小学校に入学して、1ヶ月が過ぎました。これから震災を経験していない世代が増えていくという当たり前のことに改めて気付かされます。
最近、「震災遺構」が防災を学ぶ場として注目されています。震災遺構とは、地震による被害の大きさ、悲惨さ、教訓などを後世に伝える建造物などのことで、陸前高田の「奇跡の一本松」や田老町の「たろう観光ホテル」などが知られています。震災を風化させないために残すのか、惨事を思い出させないために撤去するのか、地域にはさまざまな事情や感情があって、候補をめぐって議論が続いています。
宮城県には、震災遺構として全体または一部の保存が決まった小学校が3つあります。石巻市の大川小学校と門脇(かどのわき)小学校、仙台市の荒浜(あらはま)小学校です。4月30日に整備を終え、一般公開が始まったばかりの荒浜小学校を訪ねました。(仙台市教育委員会「おもいでをつなぐ~学校の歴史と震災の経験を未来へ~仙台市立荒浜小学校」)
仙台市の沿岸にある荒浜地区は、仙台市街から一番近い海水浴場があった地域です。住民の多くは津波への意識が高く、荒浜小学校の屋上に避難した320名は全員が無事でした。荒浜小学校は2016年3 月31日で閉校となりました。
校庭に入ると、「ありがとう荒浜小学校」の看板が出迎えます。文字の周りには、在校生・卒業生たちが書いたのでしょう、一人一人からのメッセージが貼られていました。
校舎の正面には、津波到達の高さが示されています。海岸に面している2階のベランダの鉄柵は折れ曲がり、壁には傷が残っていました。
今は片付けられている1・2階ですが、写真が瓦礫のすさまじい力と量だったことを伝えています。こちらは当時の2階の様子です。
神戸大学の「失われた街」模型復元プロジェクトによって全国の建築学生の協力で作られた街のジオラマです。建物などの一つ一つに地域の方々が色を付け、文字を書き加えて展示されています。
近くで見ていると、会場内を回っておられる仙台市の嘱託という方が声をかけてくださいました。「わたしの家はね、ここだったの」。その家は、海に面して真正面に建っていました。「一度避難してから、着るものを取りにとか、残してきたペットが心配だから、って戻った人もいてね、その人たちは、津波に遭ってしまって…」「わたしもおばあさんを乗せて逃げようと思って車で戻ったの。あと少し遅かったら、自分も助からなかったのね。本当に、危ないところだった」。思い出すだけでも辛くなる経験をされているはずなのに、こうして語り伝えて下さる姿に、頭が下がる思いでした。
4階「震災の記憶と明日への備え」の部屋には遊びながら防災について考えるコーナーがあります。親子連れなどが一緒に手を動かしながら話し合う姿がありました。
「3.11荒浜の記憶」の部屋には、荒浜地区の震災当日の様子が時系列に沿って展示されています。人々の生の声を伝える映像には、大勢の人が集まり、熱心に見ておられました。
沿岸地域では、仮設商店街が本格的に再建され、大変賑わっているというニュースを耳にします。震災遺構にはそのような活気はありませんが、多くのことを感じられる場所だと思いました。遺構は、一度解体してしまうと再び作り出すことはできません。残してくださったことに感謝しつつ、荒浜小学校を後にしました。
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