1.17によせて
1月17日がまためぐってきました。22年前の1月17日、そう、ちょうど羽生選手が生まれて6週間たとうか、という早朝、あの阪神淡路大震災が起こりました。
私が暮らす街は、とてもとても寒い、そしてよく晴れた朝でした。通勤途中のラジオで第一報、職場に着くなり、TV の前へ。そこに見たのは…………
「神戸が燃えてる……!」
立ち上る黒煙、崩れて火を吹く民家、途中のフロアがつぶれたビル、横倒しになった高速道路………あの時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
あの日から22年。
今、神戸の街は――内包される痛みはあるでしょうが――以前にも増して美しく、そして、にぎやかな街になっています。その神戸に深い思い入れをもっているのが、羽生選手。
かつてFaOI 2015神戸の際、彼はその思いの一端を語っていました。が、言葉以上にその強さを感じたのは、ちょうど一年前、盛岡でのNHK杯スペシャルエキシビションでの彼の姿からでした。
みなさん、あの時の羽生選手の姿、衣装を覚えていらっしゃると思います。
オープニングでの衣装は、FaOI 2014 で「The Final Time Traveler」を初披露した際のもの。フィナーレでは水色ドレープ、後のGPFなどのエキシビションの際のもの。つまり、両方とも「The Final Time Traveler 」だったのです。
あの時、羽生選手が披露した演技は「花は咲く」と「天と地のレクイエム」。わざわざ、衣装を着替えなければいけないことはなかったはず。それを敢えて、身にまとった。呼応するように、1週間後、大阪NYOIで披露したのは、やはり当然「The Final Time Traveler 」。 (今にして思えば、すでにこのとき、左足の状態は相当ひどかったはず。) この曲が、演技が、彼にとってどのような意味をもつかは、みなさんご存じのことでしょう。
羽生選手は、東北を、ふるさとを神戸につなぎたかったのだろう、あの地から飛び立つように、めざしてほしかったのだろう、と、私には感じられました。(「レクイエム」のラストポーズ、あの盛岡のときだけ、いつもと違っていました。) 20年余前、自然の破壊力の前に瓦解した神戸。たくさんの人々の力によって立ち上がり、立ち直ってきた神戸。「いつかはこの神戸のように、ふるさとが甦ってほしい。」との、羽生選手の思いのあらわれだったと思えてならないのです。
Gold Wing の「結~MUSUBU ~」の柱のひとつは
「忘れない」
羽生選手の生き方のターニングポイントとなった東日本大震災とともに、彼の思いに大きな影響を与えている阪神淡路大震災も忘れてはいけない。そう、強く感じた盛岡とNYOI 、そして、22回目の1.17を迎える今日この頃です。
※この記事はメンバーの方にご投稿いただいたものです。ありがとうございました。
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