被災地を訪ねて~石巻編~
≪石巻編≫
ジャンボタクシーは石巻市の港湾地区に入ります。石巻港湾合同庁舎の前で下車しました。庁舎の1階部分上部には東日本大震災時の津波の高さが表示してあります。
普通のビルなら2階部分に達する高さですが、この庁舎は1階部分が高く作られています。
この庁舎は震災後に建て直しされたもので、津波避難ビルに指定されています。震災前の石巻港は工業と漁業で栄えていましたが、震災で製紙工場や水産加工工場は大きな被害を受けました。
石巻港には、3.5mの計画堤防が建設中でした。
車窓から石巻港近くの住宅地跡が見えました。解体されずに残っている家の1階部分は津波が突き抜け、住むことはできません。
ジャンボタクシーは石巻市南浜地区の「がんばろう 石巻」の看板前に着きました。ニュース映像などで見たことのある看板です。津波で流されたコンビニ跡地に大きな看板と献花台があります。
私たちもここで線香を手向け、黙とう。
周りは住宅地でしたが津波と火災で壊滅的な被害を受けました。震災後3年が経ち、雑草が伸びて家の基礎部分を隠し、住宅地であったことさえわかりません。
石巻市内では車窓から3つの学校が見えました。「がんばろう 石巻」の看板を過ぎると、石巻市門脇地区に入ります。まず見えてきたのは、門脇小学校です。校舎全体がシートで覆われています。
門脇小学校は津波と火災による被害で廃墟のようになりました。シートの隙間から焼け焦げた校舎の上部が見えました。震災前はこの校舎に子ども達の元気な声が響いていたのかと思うと、胸が締め付けられる思いでした。
タクシーは石巻市の中心部に近づきます。真新しい校舎から元気に部活動に励む生徒達の声が響いていました。石巻市立湊中学校です。震災被害で校舎が使えなくなったため他校で間借りしていましたが、3月中旬に新校舎で授業を再開しました。
最後に見えてきたのは、湊小学校です。震災後半年間、避難所として多くの市民の皆様が避難生活をおくっていらっしゃったそうです。その様子が記録映画にも残されています。現在は改修工事も終わり4月より本校舎での授業が再開されました。
昼食をとるために、石巻復興マルシェ付近の割烹に入りました。石巻の美味しい海産物の使ったメニューを味わいました。復興マルシェには、石巻や東北地方の海産物を中心にした特産物やお土産がたくさんあります。
すぐ近くには、漫画家の石ノ森章太郎さんの作品などを所蔵、展示してある石ノ森漫画館もあります。この漫画館は津波に耐え、改修されました。
復興マルシェにも仮面ライダーが!
最後に石巻を一望できる日和山公園へと登ります。公園には何事もなかったかのように桜が咲き、お団子屋さんや鳥居もあり、家族連れで賑わっていました。
ここは、震災当日、多くの市民の皆様が急な階段を登って避難された場所です。ニュース映像では白い作業服を着た水産加工会社の方々が降りしきる雪の中、避難されていました。日和山から石巻市内を望むと、何もない真っ新な土地が広がっています。
ここには以前、工場や住宅や病院などがあり、人々が生き生きと暮らす街があったのです。
終わりに
2011年当時、街は爆撃を受けたように破壊されていました。しかし現在は解体されたり改修されたりして整備され、少しずつ復興が進んでいるように思えます。石巻出身の方が、石巻は海と魚の街だったと言っていました。海の潮の匂いには、特別な思いがあるそうです。その潮の匂いが子ども達にとって、辛い思いとして日々思い出してしまう匂いになってしまった・・・
石巻西高校生が書いた「潮の匂いは」という詩を紹介します。
潮の匂いは。
潮の匂いは始まりだった。
潮の匂いは終わりになった。
潮の匂いは生だった。
潮の匂いは死になった。
潮の匂いは幼いあの日だった。
潮の匂いは少し大人の今になった。
潮の匂いは優しい世界だった。
潮の匂いは孤独な世界になった。
潮の匂いは――――――――。