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11日〜忘れない〜

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11日~普代水門を訪ねて

Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。

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今月は普代水門を訪ねたメンバーさんからの投稿をご紹介します。

普代水門は、東日本大震災を語り継ぐ東北お遍路の巡礼地の1つに選定されています。
「2度あったことは、3度あってはならない」。村を救った高さ15mを越える巨大水門と防潮堤は、和村幸得元村長の強い信念をもとに建設されました。

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ゴールデンウィークの最終日、家族で龍泉洞に行った帰りに、普代水門に立ち寄りました。
私自身は、5年ほど前に、ある研修旅行で普代水門と太田部防潮堤を見学したことがありました。そのときに感じたのが、「この水門、かっこいい!村長さんの生き方もかっこいい!」ということでした。そのかっこいい水門を、震災のときは0歳児だった息子に見せたくなり、普代まで足を伸ばしたのでした。

その日は眩しいくらいの晴天で、青空を背景に聳え立つ水門は大迫力で最高にかっこよかった。息子も共感してくれました。

また、津波の到達した高さを示す表示を見上げ、その高さに改めて驚きました。
そして「2度あったことは3度あってはならない」の碑前で、村長さんの功績のことも話して聞かせました。息子は「村長さんすごい!かっこいい!」と感動してくれました。

東北お遍路巡礼地の碑は、前に訪問したときはなかったような気がします。
また時間ができたら、息子を連れて何ヶ所か巡礼地を廻りたいなと思いました。

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普代水門は、高さ15.5m、長さ205m。岩手県の事業として1984年に完成しました。水門付近に押し寄せた3.11の津波は23.6mと推定されています。津波は水門で遮られましたが、一部は水門を超えて川を遡上し、村の中心部がある上流部に向かいました。しかし、勢いの弱まった津波は水門から数百mで止まり、川沿いの普代小学校、普代中学校を始め、中心部の家屋の被害は免れました。

普代水門と太田名部防潮堤の建設に心血を注いだ当時の村長・和村幸得さんにも関心が集まりました。
和村さんは、1947年から10期40年間にわたり村長を務めた人です。昭和の大津波の体験者でもあり、その時の辛い体験が、その後の村長としての行動の原点になったそうです。
当時、防潮堤の高さは10mが一般的でしたが、村では「明治の大津波の高さは15mだった」と言い伝えられていたことから、和村さんは「高さ15m以上」にこだわりました。そして強力なリーダーシップを発揮して「そんなに高いものは必要ない」とする国、県、住民などの反対意見を粘り強く説き伏せ、ついに水門と防潮堤の設置にこぎつけたのです。

震災前に水門と防潮堤が設置されていたおかげで、村の津波被害は「死者ゼロ、行方不明者1人」でした。
とはいえ、あと何メートルか高い津波が襲っていたら、結果は違っていたでしょう。
さらに、普代水門は遠隔操作で開閉を行う仕組みでしたが、停電で装置が使えなくなり、急ぎ消防士が駆け付けて水門を閉鎖しました。作業終了は津波到達の直前だったといわれます。

村内には「私たちが助かったのも家が残ったのも村長さんのおかげ」という声が数多くあるそうです。東日本大震災の発生は和村さんの死から14年後のことですが、村の人々はますます元村長、和村さんに対する感謝の念を深めているようです。普代水門の下には、「津波防災之碑」が建立されていますが、その横に新たに元村長の顕彰碑も建てられました。

「東北お遍路 巡礼地めぐり」についてはこちらもあわせてご覧下さい。

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