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11日〜忘れない〜

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11日~震災遺構 中浜小学校

Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。

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宮城県仙台市から南に40km、常磐自動車道で45分ほどのところに山元町があります。山元町は東日本大震災で大きな津波被害を受けました。そこに、山元町「震災遺構中浜小学校」があります。

中浜小学校は1964(昭和39)年開校。海から400メートルと近いため1989(平成元)年の校舎建て替えの際、地域住民の要望により、敷地全体を2メートルほどかさ上げするなど津波や高潮への事前の防災対策が施されていました。3月11日大津波が迫る中、児童や教職員、地域住民ら90人の命を守り抜いた小学校です。

開校以来、地域とともにあゆみ、愛されてきましたが、内陸の坂元小学校と統合され、2013年に閉校となりました。山元町は、宮城県南部に残る唯一の被災建築物である校舎の保存・活用を決めました。

有料の語り部ガイドを事前に申し込むこともできますが、町職員の方が常駐しています。管理棟で受付を終えると、その日は入口まで行く間にも校舎や校庭の当時の様子を説明していただけました。鯉のぼりが取り付けられていた3本のポールは、先端を津波の高さに合わせて作ったそうです。

校舎1階は被災した様子をそのまま見られる見学通路です。津波が押し寄せ、通り抜けた床や壁、天井、備品や卒業制作の様子を読み解くことで、災害や津波の様子が見えてきます。

2階にはかつての町並みを再現したジオラマ、災害の様子などが俯瞰できる映像地図などが展示されています。
音楽室だった教室で映像上映を見てから、ガイドの方と一緒に屋上へと上がります。

屋上からは波の音が聞こえ、時折、防潮堤にぶつかる波しぶきが見えました。屋根裏倉庫は、児童や教職員、地域住民らが一夜を過ごし、自衛隊のヘリコプターで救出された当時の状況が保存されていました。2階と屋上の写真は山元町HPよりお借りしています。

見学で印象に残ったのは、90人の命が守られた背景には、幸運もあったということでした。
東日本大震災の2日前に大きな地震があり、津波避難は到達の予想時刻を優先して場所を決めることなど、避難についての確認が改めて行われていたこと。
停電になったのが、テレビで気象庁から発表された津波の高さが10mに引き上げられたという情報を得た後だったこと。
沖合では20mあったとも考えられる津波が、引き波とぶつかり合い、実際にはもっと低くなって到達したこと。この事で気を付けておかなければならないことがありました。気象庁が発表する大津波警報とは、10m超の予測なのです。実際に到達する高さが、20mなのか30mなのかは、分からないのです。(気象庁「 津波警報・注意報、津波情報、津波予報について」)

当時の校長先生は全員を屋上へ避難させた後に、自分は最後に階段を上りながら、「もう戻ることはできない。この階段を生きて降りてくるしかない」と責任の重圧を両肩に感じたそうです。そして、今も「あの時の決断は正しかったのか」と葛藤を感じていると聞きました。

新年度が始まり、新しい職場や学校で過ごすことになった方もいらっしゃることでしょう。
その地域や通勤・通学経路の災害予測や防災マニュアルなどを確かめ、いざという時のための備えを見直す機会かと思います。

中浜小学校は、震災を知り、災害と向き合い、未来に生かすための施設です。案内の方の話は本当に貴重なものでした。今後の災害に備えるために活用していただけたらと思います。

山元町農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」に立ち寄りました。
山元町の特産品は、いちご、りんご、シャインマスカット、ホッキ貝、など。
山元いちご農園」「イチゴワールド」のいちご狩りが予約できます。いちご狩りは現在のところ、6月中旬まで。震災遺構中浜小学校入館の半券を提示すると、いちご狩り100円キャッシュバック券が発行されるイベントが期間限定で開催されていました。

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