11日~復興のシンボル~
Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。
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仙台では12月8日から「SENDAI光のページェント」が開催されています。1986年に始まり、今年で32回目を迎えます。今年のテーマは、「みんなで灯す、心の明かり」。第1回目から現在に至るまで毎回開催が危ぶまれながらも、そのたびに多くの方からの温かい支援を頂いて光が灯されてきたページェント。たくさんの方々の「心の明かり」を灯してきたのではないでしょうか。
そんな「SENDAI光のページェント」、2011年、震災でイルミネーション用のLED電球が保管されていた宮城野区蒲生の倉庫が津波で全損…今回ばかりはほんとに無理かなと思いました。しかし、実行委員会の皆さまの尽力、そして、東京・表参道、大館市、相模原市、広島市をはじめ県内外の企業・団体、個人の皆さまから寄せられたたくさんのご厚意により、初日を12月2日に前倒し無事に開催することができました。テーマは「光の和、想いをひとつに!」たくさんの絆で灯されたその光を見上げるたくさんの輝く笑顔は、東北の希望の光のようだな…と。
この年の光のページェントは、復興への願いが込められた特別なものでした。
※仙台市「復旧・復興への歩み」
※表参道イルミネーション 復興支援プロジェクト 第1弾
※秋田県立大館鳳鳴高校「仙台鳳鳴会」
※<仙台・光のページェント>サッポロHD 200万円を寄付(河北新報 2017年11月28日)
光のページェントで彩られるケヤキ並木、宮城県のシンボルとしても知られています。
ケヤキが仙台に植えられた理由はご存知でしたでしょうか。
1945年7月の仙台空襲で街全体が焼け野原になってしまい、何もなくなってしまいました。武家屋敷に植えられていた樹木の豊かさと美しさで「杜の都」と呼ばれていた街は跡かたもなく消えてしまいました。街は、乾燥する冬季は特に砂埃が舞い、戦後復興期に「仙台砂漠」と呼ばれていたそうです。そのため、道路の舗装や街路樹の植林によりこれを改善、この時に街路樹として植えられたのがケヤキでした。仙台の気候に合っていて、風格があり見栄えの良いことを条件に、最終的に選ばれたのがケヤキだったとのこと。1966年には宮城県の木に、1971年には仙台市の木に選ばれ、地域を代表する木となりました。そしてケヤキの成長とともに、再び「杜の都」と呼ばれるように…それが仙台の復興のシンボルとして市民に広がった理由のひとつと言われています。
およそ50年前から仙台の街を見守ってきたたくさんのケヤキの木。それからずっと仙台の街とともにありました。今もまた、再び「復興のシンボル」として、目の前に広がる街並みを優しく見守ってくれているのでしょう。「杜の都」がほんのちょっとずつでも未来へ進んでいきますようにと願いを込めながら。
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