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11日〜忘れない〜

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Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。

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宮城県東松島市の野蒜にある「佐藤山」という場所をご存じでしょうか。
ここは、東松島に住む佐藤善文さんが私費で造った避難所。きっかけはチリ地震の津波だったそう。「地球の裏側で起きた地震でこんなに大きな津波が来る。もしも近くで地震が起きたら…」1960年5月のチリ地震津波の直後に石巻市や塩釜市を訪れた佐藤さんは津波の脅威を目の当たりにしたことを今も鮮明に覚えているそうです。津波は「いつか必ず来る」と、襲来に備え皆が避難できる場所を高台に造りました。

1999年、65歳で息子さんに事業を引継ぎ、自宅近くの土地約1.8ヘクタールを購入。ずっと考えていた避難所整備計画を実行に移しました。「ここには津波は来ない」「道楽だ」など、最初は家族も含め誰にも理解されなかった佐藤さん。それでも「野蒜には観光客が多く、津波避難場所が必要だ」とご自身の信念を貫き、住民の方々などを受け入れる環境を整えたそうです。

佐藤山は、高さ約20メートル。ブロックや角材を使い高齢者らが登りやすいよう避難道を整備、歩いて数分で着く山頂にはあずまやと避難小屋もあります。小屋には電気も引き、ストーブ2台と布団を用意、飲み水は100リットルを常備しており毎日入れ替えているとのこと。
「たとえ津波が来なくても、花見ができる山になればいい」と、山には桜やアジサイを植えた佐藤山は、ご近所の方々の憩いの場になりました。

そんな佐藤さんの取り組みが、後の東日本大震災で約70名の命を救うことになりました。それでも、野蒜では指定避難所が全壊するなどしてたくさんの命が犠牲になりました。佐藤さんの妻さつきさんは「結果的に役に立ったけど『津波なんて来なかったね』と笑い話になった方が良かったかも…」と複雑な思いがあるといいます。佐藤さんも「『避難所ができたよ』ともっと宣伝できていれば、もっと助かった人がいたかもしれない」と。

「万が一、使えなければ避難所の意味はない。『完成』ってないんだよね」と、佐藤さんは今でも「佐藤山」の整備を続けています。
少しでも多くの方に「佐藤山」の存在を知っていただけますように。

※震災直後と、今の「佐藤山」について書かれた記事です。ぜひご覧ください。
手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島(2011年3月31日 朝日新聞)
「あの日から」第5部 命を救う(1) 私設避難所で70人生還(2020年11月11日 河北新報)
「あの日から」第5部 命を救う(2)津波を警戒、1人で整備(2020年11月12日 河北新報)

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(写真AC)
サザンカの花言葉は「困難に打ち勝つ」「ひたむきさ」

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