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11日〜忘れない〜

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11日~継続と復活~

Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。

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約3年前、大津波で病院を失った宮城県南三陸町に、新しく「南三陸病院・総合ケアセンター南三陸」が完成しました。
南三陸町唯一の病院だった志津川病院は、震災により大きな被害を受けました。その後は仮設の診療所や病院で診療を続けていましたが、2015年12月に、病院と地域の保健や福祉といった行政サービスの拠点も加えられた施設として新しく一歩を踏み出しました。復興の大きな力になるのは、何よりも健康で元気、そして笑顔でいる事。南三陸病院と総合ケアセンター南三陸は、そんな南三陸町の健康と元気と笑顔を支える施設として、とても大事な存在なのだと思います。

この施設の継続や復活には多くの支援によって支えられていたことをご存じでしたでしょうか。

震災発生から18日後の3月29日には病院を失った南三陸町にイスラエルの医療チーム(医師14名、看護師と検査技師などが60名)が支援に駆けつけてくれました。町の総合体育館の駐車場に、栗原市からの支援によるプレハブの診療所が開設され、日本人医師の指導のもと、診察が開始されたそうです。東日本大震災後に日本政府が海外からの医療支援を受け入れたのはイスラエルが初めてで、そして、被災地で仮設診療所が開設されたのは南三陸町が初めてだったそうです。1カ月後に同医療チームが活動を終了した際には、医療機器等を寄贈していただき、その医療機器等があったことで仮設診療所の運営を継続することができたとのことです。

また、台湾赤十字から、建設費の約4割に当たる支援を寄せていただきました。台湾では、震災後、東日本大震災に遭った東北の人々のために・・・と、広く募金活動が行われ、台湾赤十字にもたくさんの義援金を寄せられたそうです。

2015年11月25日、新しい施設の落成式が催行され、町長や赤十字組織会長、イスラエル駐日大使ら11名によってテープカットが行われました。台湾赤十字の王清峰会長は「日台の友好関係が末永く続くことの象徴」と語ったといいます。病院の敷地内には「台湾の皆さんありがとう」の言葉とともに、「中華民国」の国旗、南三陸町の町旗、「絆」の文字が刻まれた感謝を表す記念碑も設置されました。
支援にかけつけてくれ、医療の継続に尽力してくださったイスラエルの医療チームの方々、東北の人のためにと、たくさんの義援金を寄せてくれた台湾の方々、その他多くの方の力で復興は少しずつ進んでいるんだなと実感します。

津波に浸かった南三陸町の公立病院、台湾の義援金22億円で復活
(The Huffington Post 2015年12月15日)

宮城から感謝をこめて2015
南三陸町 南三陸病院・総合ケアセンター南三陸

 

そして先日、とても心配なことがありました。
現地時間2月6日午後11時50分(日本時間7日午前0時50分)ごろ、台湾東部花蓮近海を震源とするM6.4の地震が発生しました。花蓮市内では倒壊した建物に閉じ込められた人が続出し、多くの被害がでています。被害にあわれた皆さまに1日も早く平穏な生活が戻ることを、ただただお祈りいたします。
震災後、心を寄せてくれた台湾の方々…微力ながら私たちも力になれたらと思います。

台湾東部地震 緊急支援募金(Yahoo!基金)

財団法人台湾仏教慈済(Tzu Chi)慈善事業基金会 日本支部
郵便口座:00190-4-753352
仏教時慈済基金会
※備考欄に「台湾地震」または「花連地震」と「領収書不要」と記入
以前の記事の中で紹介した、防災士の佐藤一男さんのツイッターより>

南三陸町の方々も自分たちにできる事を…と、活動を開始しています。
<台湾地震>震災への復興支援に恩返しの義援金を 南三陸町8ヵ所に募金箱設置(河北新報 2018年02月09日)

 

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