11日~埼玉から~
Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。
今月は、埼玉在住のメンバーの方に東日本大震災の体験談をご投稿いただきました。
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私もあの日、埼玉であの地震に遭っているひとりです。
あの日、私はバイトが終わり両親と一緒に妹の家に居ました。
さぁ~そろそろ息子が学校から帰ってくるから帰るかな♪と立った瞬間、あの地震が来たのです。
その直後、息子から「ママ怖い~今どこ?」と電話が。息子は早帰りしていて、独りで自宅に居ました。
当時まだ小2でした。
妹の家から自宅まで車で30分位なんですが、1時間半位かけて自宅へ・・・
帰る途中、何度も信号が今にも倒れそうな位揺れるし、周りは逃げ惑う人々、ビルの硝子が割れて散らばっている、公衆電話に長蛇の列…と、今でもたまに夢で見ます。
なんとか自宅に着き中に入ると、電化製品など色んな物が倒れている中に、携帯片手に机の下で震える息子が居ました。
取り敢えずホッとしました。
翌日、私は早朝からバイトだったのですが、カウンターでオーダーをとってると、頭から爪先まで泥だらけの女の子ふたりが「すみません、スーパーアリーナ?って何処ですか?」と・・・
話を聞くと、夜な夜な東北からヒッチハイクなどして逃げてきたそうです。
当時さいたまスーパーアリーナに被災者が避難に来ていたので、そこへ行く途中だったのですね。
今も、3月11日あの日を忘れません。
忘れられないし、忘れてはいけないのです。
これが私の体験談です。
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さいたまスーパーアリーナは、2013年12月に全日本フィギュアスケート選手権大会、2014年3月にはISU世界フィギュアスケート選手権大会が開催され、羽生選手が優勝を飾ったリンクとして皆様の記憶に新しいアリーナです。
2011年の東日本大震災直後、さいたまスーパーアリーナは首都圏からの帰宅困難者の受け入れ施設として開放されていました。
2011年3月18日 、さいたまスーパーアリーナは 東日本大震災による東京電力の福島第一原子力発電所事故などの避難民を受け入れるべく、埼玉県の指示で避難所に指定されました。
翌3月19日から福島県双葉町が役場ごと約1,200人の住民とともに当地に避難していました。
その後、同役場機能と避難民は、埼玉県加須市にある廃校舎施設(旧・埼玉県立騎西高等学校校舎)へ再移転・再移動。
2013年6月以降は、町役場をいわき市に移転しています。
埼玉県は、現在も大震災を風化させない福島県応援キャンペーン を 発表しています。
埼玉県の県花はサクラソウ、花言葉は、希望
埼玉県民の鳥は、シラコバト(埼玉県のゆるキャラ、コバトンのモデルになった鳥です。)
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